不器用人の地球適応記

不器用人の地球適応記

不器用人、地球適応の訓練課程を綴ります

『潮騒』三島由紀夫

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三島文学に惚れこむ人は少なくないと存じます。

かつての学友にも『金閣寺』を学習机に置く人。熱心に三島を論じる人。いくらか出会ったことがありました。

つい先日も、親しい友人から三島を薦められました。彼女で3人目です。

彼女とは非常に懇意ですし、いつも話題を提供してくれるのは彼女の方なので、ここは一つ報いるためにもヤッと腰をあげ今回読んでみることにしました。

 

三島といえば市ヶ谷での割腹自殺があまりに有名ですし、以前の学友からも女性嫌いの同性愛者風なことを聞いておりましたので、日頃本を読まない私としては、三島が書く文章は厳つく人を寄せ付けず、それこそ旧仮名遣いでも書いてあるのかと勝手に思っておりました(笑)

 

従ってはじめて『潮騒』の冒頭を読み、事前のイメージと異なる読みやすさに驚きました。とりあえず、歴史的仮名遣いではない、(笑)

文学史に明るくない私でも知っているような文豪というと、教科書に載っているような明治期の人々という印象がありますから、戦後または親の世代を生きていた近年の人であるというのが未だ慣れないところです。

 

さて『潮騒』の舞台は三重の孤島でありますが、その風景は私のかつての記憶を想起させました。

それは大学時代、友人のつてを頼って島根県隠岐諸島に行った際のことです。

本州・松江駅よりバスにしばらく乗り、ターミナルからはフェリーで2時間。遠路といって差し障りないでしょう。(そもそも東京から松江まで夜行バスで12時間をかけて向かった前提があるのです。)

そこでは島の子どもたちと話す機会に恵まれましたが、普段はどんな遊びをしているのと尋ねると、釣りをしていると教えてくれました。平目が獲れると言っていたかな。

また、将来の考えはあるのと尋ねると、漁業に携わりたいので水産を学べる大学に進学したいと教えてくれました。

普通にビデオゲーム(彼らが言うにはモンハン)も遊べるという現代の島でしたが、海や島の自然と常にしてきた純粋無垢さが『潮騒』の主人公である新治と重なりました。

三重の島・隠岐の島。土地は異なるけれども、今も昔も島の人々の人柄はそう変わらないのかもしれません。なんて、日本自体、島ですけれどね。

 

きっと三島作品を好む方々からは、なぜ『潮騒』から読んだんだ。それは三島作品の中でも特に異色なものだ。と思われることでしょう。

その点については、友人からも言われていました。三島らしくない作品だと。

かかわらず友人が『潮騒』を薦めてくれたのは、私がハッピーエンドの物語を所望したからにあります。

 

悲恋の無常さもいいけれど、どうせなら結ばれて終わってほしい。

その思いで読み始めましたが、はて。べたな恋愛小説も嫌いではありませんでしたが、最近は特に年下の者たちの恋物語をみると、むずむず落ち着かなくなります。(飛躍すれば、ポカリのCMもむずむずする。)自分も年をとったのでしょうか。

べたといえば、この作品を読んで思うのは、あまりにベーシックな展開だということ。言い換えれば、読まずとも先が判る。

秩序だった破綻ない要素の散らし方はさすがに並ではありませんでしたが、捻りないストーリーにやや拍子抜けしたのは事実です。

友人の話や巻末の解説によれば、この『潮騒』はギリシャの古典に則り純日本風に書きあげたものらしいですから、由緒正しい筋書きとして現代に馴染みあるのも不思議ではないのかもしれません。

そのすべらかな運びは、起承転結のお手本とも言うべきでしょう。

 

自分でハッピーエンドが良いと申しておきながら、若人の甘酸っぱい青春にはもう、肌が合わなくなったのかもしれません。エキセントリックと言われる三島の、常の作風を知るべく今度はまた異なる作品を読んでみたいと思います。

 

-お初に御目文字-

【昧爽】(まいそう)...明け方のほの暗いとき。

【狷介】(けんかい)...頑固で、他人に心を開かないこと。

【つくねん】...一人でぼんやりとしている様子。

 

 

 

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三島由紀夫潮騒新潮文庫

昭和30年12月25日 発行

平成17年10月20日 122刷改版

平成25年 7月 5日 137刷